東行庵。

7/12、下関市吉田の「東行庵」へ行ってきた。
東行庵には高杉晋作の墓がある。下関市街中心部からだと、小月IC入口を過ぎて更に東の外れにある。
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東行庵境内案内図。
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小川に沿って歩くと向こうに東行庵が見えてくる。
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東行庵。
高杉晋作の菩提を弔うために山縣有朋の別宅「無隣庵」を譲られた梅処尼(うの)が庵の建立を希望すると、晋作と共に時代を生きた井上馨伊藤博文らの支援により、明治17年(1884)に創建された。
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毎年5月の連休に合わせて一般公開を行っておりますって。
いつもは公開されてないんだねぇ。
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高杉晋作の墓は境内案内図の横、小川を渡って上へと延びる山道を進む。案内板はあるが、少々迷路だな。
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高杉晋作の墓。
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高杉晋作(号東行)、松下村塾に入門したのを転機に希代の革命戦略家として頭角を現す。文久3年(1863)、長州藩が外国艦隊と砲火を交えるに及んで奇兵隊を組織、自ら初代総督となる。慶応3年(1867)4月13日(命日14日)、下関において結核のため27年8ヶ月の生涯を閉じた。
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福田公明の墓。
奇兵隊参謀・軍監となって奇兵隊の育成に努めたが、明治元年(1868)11月14日、下関にて40才をもって歿した。遺言により高杉晋作の墓側の葬られた。
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山縣有朋公像。
松下村塾高杉晋作と机を並べた。病気のため退いたあとの奇兵隊を引き継いだ。日本陸軍の総帥、また、第三・第九代内閣総理大臣を務めた。
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高杉東行陶像/高杉晋作墓誌碑。
文久3年(1863)3月15日、剃髪、「東行」と名乗る。変名「谷 梅之助」。
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側室おうの(梅処尼)のお墓もあったが撮り忘れた。
雨が降ったり止んだりであまりゆっくり見てられん。

東行記念館。入館料300円。
300円ならちょっと見てこうかな。
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奇兵隊吉田陣屋ジオラマ。ほほ~、よくわからんが、こういうの見るのはすきだな。
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その他、高杉晋作の自筆の書状や資料が展示されてる。写真はあまり撮らなかったので、見たい人は自分で見に行こう。
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東行池。
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池の前にも晋作像。
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(2016/07/12 山口・下関/GO!GO!九州)